香川県(Kagawa-ken)は、日本で最小の面積という物理的制約と、瀬戸内海(Seto Naikai)という内海に面した地理的優位が、常に背反するベクトルとして働いてきた地域である。肥沃だが決して広くはない平野、雨が少なく水資源に制約がある気候、そして本州と四国を結ぶ結節点としての位置づけ。この三つが、同県の経済的アイデンティティの核を形づくっている。
江戸期には、金毘羅宮(Kotohira-gu)参詣を軸にした海運・旅客・物資流通の拠点として機能し、明治以降は塩田、製糖、造船、化学工業など「瀬戸内工業地帯」の一角として工業化を進めた。ただし、神戸や広島のような大規模港湾都市に比べてスケールで勝負することは難しく、結果として「小さく、密度の高い経済圏」という構造が定着する。
ここで象徴的なのが「うどん」の位置づけである。小麦・塩・いりこなど、瀬戸内圏で手に入る限られた資源を極限まで磨き上げ、「さぬきうどん」という特異なブランドを形成した。この「物理的制約を、特化と差別化で反転させる」という論理が、そのまま地域の経済DNAに刻み込まれている。
香川の産業構造は、観光・食品、機械・造船、化学・製紙、IT・情報サービスが、多層的に重なり合う形で存在している。高松市(Takamatsu-shi)は四国の行政・ビジネス中枢として、四国電力(Yonden)、百十四銀行(Hyakujūshi Ginkō)などの地域アンカー企業を抱え、金融・エネルギー・インフラの基盤を提供している。一方、東かがわ市(Higashikagawa-shi)の手袋産業や丸亀市(Marugame-shi)の造船関連、中小機械部品メーカー群など、特定ニッチに深く根ざした中小企業集積が散在する。
IT分野では、高松市を中心にソフトウェア開発、受託開発、業務系システムを扱う中堅企業が点在し、香川大学(Kagawa Daigaku)工学部や情報系研究室が、ゆるやかなR&Dノードとして機能している。ただし、巨大なスタートアップ・クラスターがあるわけではなく、「少数精鋭の技術者チーム+地域顧客への深い密着」という構図が支配的である。
このようなエコシステムは、広域でのスケールアウトよりも、特定領域における「深い統合」に向いている。うどん店が製麺所、小麦農家、だし素材のサプライヤーと密に連携しながら、店舗ごとの個性を維持しているように、香川の産業は「小さなサプライチェーンの高密度連結」という形でモジュール化されている。この構造は、AIやデジタル技術を組み込む際にも、「点と点をつなぐインテグレーション」の余地を多く残している。
香川のビジネス文化には、「過度な拡大よりも、持続可能な採算性と地域への責任を優先する」という価値観が見え隠れする。うどん店の多くが、家族経営や小規模チェーンでありながら、数十年単位で存続し続けている事実は象徴的である。味・価格・回転率のバランスを極限まで調整し、派手な広告よりも口コミと常連客の維持に注力する姿勢は、「ニッチ市場における集中戦略」の実地モデルともいえる。
この「うどん経済(Udon Economy)」は、ニッチ市場を徹底的に掘り下げることで、ローカルでありながら全国区のブランド力を獲得しうることを示している。多くの店が似たようなメニューを扱いながらも、麺のコシ、だしの深さ、トッピング、価格設定、店舗動線など、微細な差異でポジショニングを行う。ここには、「均質なプロダクトの中に、無数のマイクロ・セグメントを見出す」という、極めて現代的なマーケティング感覚が内在している。
大きな転換点は、1988年の瀬戸大橋(Seto Ōhashi)開通である。それまで香川は「四国の玄関口」でありながら、海を隔てた半ば閉じた市場であった。橋の開通とともに、本州との人流・物流は劇的に増加し、観光・小売・物流・製造業に新たな選択肢が生まれた。一方で、競争相手も同時に流入し、地場企業は「守られたローカル」から「比較可能なローカル」へと環境が変化した。
このとき香川が選んだのは、大規模工場の誘致競争ではなく、「さぬきうどん」や瀬戸内の多島美、こんぴら詣り、直島(Naoshima)をはじめとするアート観光など、「ローカル性を前面に出した高付加価値化」であった。特に1990年代末以降のベネッセアートサイト直島などの動きは、瀬戸内全体のブランドを底上げし、香川を「小さいが、意味のある目的地」として再定義した。この過程で、飲食、宿泊、交通、地域プロデュースといった分野に、新たなプレーヤーと連携構造が生まれている。
香川は人口約95万人規模で、少子高齢化と人口減少の圧力を正面から受けている。市場規模は限定的であり、内需のみで大きなスケールを求めることは難しい。優秀な若年層は大阪・東京圏へ流出しやすく、高度IT人材や研究者の厚みという点では、福岡や札幌と比較しても見劣りするのが現実である。
また、中小企業比率が高いがゆえに、デジタル投資や研究開発投資に踏み切れる企業は限られ、個社レベルでは保守的に見える場面も多い。行政側はデジタル化や移住促進、スタートアップ支援を打ち出しているが、制度と現場の実装との間には、依然として摩擦がある。
しかし、この「小ささ」と「慎重さ」は、裏を返せば「大きな失敗を許容しない代わりに、着実な改善を積み重ねる文化」とも言える。外部の経営者にとっては、スピードと実験性を持ち込む際、地域の信頼形成とリスク共有の設計に、時間と対話が不可欠となる。
AIエンジニアであり経営者である読者にとって、香川は「スケールの経済」よりも「焦点化の経済」の示唆を与える地域である。さぬきうどん産業が示しているのは、単一カテゴリに見える市場の中に、無数のニッチとストーリーを埋め込み、その差異を理解しうる顧客との関係性を深めることで、長期的な優位を築くというアーキテクチャである。
組織設計の観点から見ると、香川の産業構造は「小さなモジュールが、ゆるやかなネットワークで結びつく」姿に近い。巨大なプラットフォームを一気に構築するのではなく、まずは一つのうどん店レベルの問題設定――たとえば、仕入れ、需要予測、人員配置、顧客体験――を徹底的に解像度高く理解し、その解決策を隣接領域へと水平展開していく。この積み上げ型の戦略は、AIプロダクトの開発とスケールにも通底する。
香川の「うどん経済」は、世界市場を狙うテクノロジー企業に対しても、「どのニッチに、どれだけ深く潜るのか」という問いを突きつける。限られた資源と小さな市場を前提としながらも、集中と洗練によって、外部からわざわざ訪れたくなる存在になり得ること。そのロジックを、自社のプロダクト選定、顧客セグメント、技術ロードマップの設計にどう翻訳するかが、この地域から汲み取るべき本質的な論点である。